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弱みを見せることの危険性〜洗脳への第一歩〜

弱みを見せることというのは大概の場合危険を伴う。

悩み相談等で悩みを言ったりする方も多いだろう。

しかし、俺はこれで失敗した。

そう洗脳されたのだ。

「常識」というものに。

親や上司、同僚などに

環境のいい人間はこれで成功する場合もある。

しかし、環境の悪い人間はそうはいかない。

その純朴さを利用され、洗脳される。

倫理観、ものの見方、行動は他人が望むそれになる。

つまるところ、自分は自分でなくなるのだ。

他人の価値観で生きて失敗して死んでいくのがオチである。

そうならないために、普段から読書や芸術、日々の生活習慣から心がけなければならない。

人生は平等ではない。

人によってやるべき努力や到達点というのは違う。

それを認識しなくてはならない。

まずは確固たる自分のアイデンティティ、倫理観や常識、生活習慣を自分で築き上げ、騙されないように生きていくことが大切であろう。

環境が悪いからこそしなければならない努力があるのだ。

理屈や今までの常識を無視して

理屈や今までの常識を無視して

このタイトルをつけたのは、僕が今からやろうとしてることは本当に意味のないことかも知れないけど、それでも世間の目や周りに流されず、やろうというもの。

というかこれ以外思いつかない。

ただでさえ抗う術のないこと

意味のないことと思われるけど破滅に向かう過程でそれを少しづつ切り抜けるヒントや習慣を得られたらそれでいいと思う。

今のところどうしても他人を警戒しなければならない中で、どうやっても他人に優しくできないし、そして自分にとっての導き手となる他人を探す力が足りない。

だから今の僕は性格が悪いし、人間めっちゃ嫌いです。

特に男は気持ち悪くて、詐欺師だ。

正直僕が人間不信であることは揺るぎない事実として置いておく

まあでも今の環境でどうしても他人を選別しなければならないのは事実

どうしても受け入れられないものに適応しようとすることほど馬鹿なことはない。

実際、そういうことの繰り返しによって、僕という人間が作られたも同然だからだ。

だから、もう苦しいことは嫌だな

性格悪くなるし

ただ、どっかで読書なり、徳を積まないといい環境や好きなことってできないんだろうな。

僕の場合。

一生報われない人生について考える〜blackbirdとその意味

一生報われない人生

黒人奴隷が普通に行われていた時代の黒人たち

生まれながらにして何かしらの重い障害を負ったものたち

または後天的に重い障害を負ったものたち

アウシュヴィッツに収容されたユダヤ人

とにかく生まれながらにして否が応でも自由を拘束されたもの

こういう人たちを見てもなお現実から目を背け、環境のせいにするな、他人のせいにするななどと抜かすカスがいる

例えば、お前が突然、連れ去られ、拘束され、理不尽な拷問を受け、死んだとしよう。

それでも先ほどと同じことが言えるだろうか。

言えたら今すぐ拷問してお前の人生めちゃくちゃにしてやる。

以前、そのような事件が日本でもあった。

女子高生コンクリ事件というものらしい。

これはバイト帰りの女子高生が、連れ去られ、拘束され、もうそれはこの世のものとは思えないほどに原型なき姿にされるまで拷問され死んだという。

最初聞いた時おぞましくて、人間の狂気と悪どさ、そして人間ある限りこの世に正義などと甘っちょろい概念は吹っ飛んだ。

その時思ったのだ

この世には一生報われない人生ってものはやはりあるのか?

東日本大地震で死んだ人もこんな感じなのか?

この世には巨万の富を得て、名声を得て、理想の死を迎える者もいれば、否応無く他人や環境のせいによって、凄惨な死を迎える者もいる。

やはり人生というの運命には抗えないのか?

神の運命の一捻りによってこうも差がひらけてしまうものなのかなあ

たまたま難を逃れた一部の冷たい傍観者どもによってこの世の不条理な説教がまかり通っているとなるとほんとに他人に対しての認識というものを改め、身構えて生きなければなと思う。

1500年代くらいの黒人たちは生まれながらにして奴隷という使命を背負い、自分たちのやりたいこともできず、苦しむために生きて死んだ。

でも、僕はそんなことはなく、五体満足で、まあそこそこの容姿を貰って、少しばかり苦労しながら生きてきた。

生きていく中で、どうしても迫害やいじめ、報われなさがあり、僕は「一生報われない人生を運命づけられた者」というものを植え付けられた。

まあ先ほど例に挙げた人たちほどではないと思うが

実際は報われるのかもしれない。

今してる心配は杞憂に終わるのかも知れない。

でも、もしそうだった場合、そういうものに対抗できる術というか習慣というものはないのだろうか?

例えばセックス・ピストルズのジョニーロットンが奥さんの準備が遅れたおかげで飛行機が間に合わず、それによって難を免れたとか、さんまさんが飛行機をチョイスせず新幹線を選んだ事により、日航機墜落事故を免れたとか、そういう人たちになりたい。

どうしても。

もしそういう人たちになれる何か、努力や習慣、性格などそれはもう頭がちぎれるまで考え抜く所存だ。

今のところ性格、習慣に関しては、本を読み、瞑想をして、考え方、性格、行動を改め、心を豊かにし、余裕をもたらした上で普段の生活に励みたいと思う。

努力に関しては、役に立たないことでもいいので、何か好きなことをなんでもいいから努力する事にした。

そうギターである。

多分私ギターの才能がない

作曲の才能もない

多分今まで努力するベクトルを間違えた自信があるし、

多分努力も足りなかったと思う。

そうなったのは結局、運命がどうだとかよりは正しい認識を身につけるための習慣、それこそ先ほど述べた読書等が足りなかったことと思えます。

本は古今東西昔の先人の教えや、受け継がれた知識、生活の術、お得情報、深い精神世界のお話、歴史の変わり方、それに伴う常識の変化など、もうそれはこの世で最も崇高な娯楽であろう

読書をせずして、自己の確立、正しい認識、周りの悪の手から自分を守る術、判断力、時代を切り開く力というものが身につけられるだろうか?

いやできるわけがない

決められた運命の中でこれらを行なうことで、破滅に向かう過程の中で少しくらいは変えられたはず。

そして過程を変えていく中でそこで運命の扉というものが開かれるんじゃなかろうか?

俺はそう考えた。

で、このブログのタイトルblackbird

ビートルズの名曲として名高い

ポールマッカートニー作、この曲は黒人解放について歌った曲である

先ほども述べたように黒人というのは、その当時決して幸せになることはなく、地獄を味わうために生まれてきた、運命に抗えないものの象徴であった。

つまり生まれた時から運命が絶対的に決まっている存在

他人に理解されることもなく、理不尽に耐え、最後は凄惨に死んでいった。

それが黒人であった。

黒人解放つまり黒人の自由、仮にそうなる運命に生まれたとしても「blackbird」にどうしてもなりたいと思ってつけられたのがこのタイトルである。

僕の周りの他人

家族は僕を出来損ないであることをわかってるらしい
仮に僕が努力して報われない場合、努力が足りない、出来損ないなど根性論を押し付け、
奇跡的に報われた場合、掌を返す
こんな奴らを家族と呼べるか
呼べないと思う。
俺は環境に翻弄され、26まで洗脳されて生きてきた。
洗脳されていた事に気付いた時には26歳だったわけ
ほんと馬鹿だよな
これに気付いたときゃ、もう他人に対する態度ってやつが180度変わったね。
もう敵にしか見えなかったよ。
尼崎の例の洗脳事件の犯人がそこらにいる感じに思えたね
とにかく付け入る隙を隠し続け、攻撃的な態度をとることしかできなかったよ。
他人を信じず、とにかくこいつらやこいつらを取り囲む環境って奴に翻弄されないか考えることそれが一番だった。
で、俺が最近行き着いた結論なんだけど、とにかく本を読んで、勉強して、なんでもいいから努力して、心に余裕を持たせ、且つそういう奴らから身を守るために、常に身構えないといけないって思ったよ。
ほんと気が抜けない。
これだけ見ると俺は甘ったれだとか環境のせいにしてるなどと見当外れなことを抜かす馬鹿がいるだろうから、それについては、このブログのタイトルの説明も含めて、説明してやる。